『これで民主国家といえるのか?安保法制「想定問答集」を隠し続けた内閣法制局』古賀茂明氏―現代ビジネス

F4lg03これで民主国家といえるのか?安保法制「想定問答集」を隠し続けた内閣法制局
【官々諤々11月号を急きょ再掲載】

現代ビジネス(2016年2月19日)


2月17日付の朝日新聞朝刊に『法制局、国会要求に開示せず 集団的自衛権巡る想定問答』という記事が掲載された。

<集団的自衛権の行使を認めた2014年7月の閣議決定に関連し、内閣法制局が国会審議に備えた想定問答を作成しながら、国会から文書開示の要求があったのに開示していなかったことがわかった>

という内容のスクープ記事だが、古賀茂明氏は昨年11月時点で、「内閣法制局は、検討過程についての文書を残していると確信している」と指摘していた。あるはずの文書を「ない」という。これで本当に民主国家といえるのか。『官々諤々』2015年11月28日・12月5日合併号を、再掲載する。

◆勝手に公開の是非を判断する官僚

集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に関して、内閣法制局がその検討過程の議事録を作成していなかったことが毎日新聞によって9月28日に報道されてから、約2ヵ月。

「こんな重要な事案について、検討過程の文書が作成されていなかったとは、何たる怠慢だ」という批判の声が高まっている。

国民感情としては当然だ。

しかし、筆者の見方は少し違う。何故なら、検討過程についての文書は「残っている」と確信しているからである。どういうことか、解説しよう。

まず、「公文書管理法」によれば、閣議決定に至る経緯は文書として残さなければいけないと決まっている(同法4条2号)。だから、文書がないのはおかしいのだが、実は、この法律は、違反しても罰則の規定がないから、実効性がない。

次に、「情報公開法」により、原則として行政文書は公開しなければならない(同法5条)。しかし、「公にすることにより、率直な意見の交換が不当に損なわれるおそれ」があるときは公開しなくても良いことになっている(同条5号)。

これを官僚たちは、「公開されるとなれば、批判を怖れて率直な意見を言えなくなるので、検討過程の記録は公開しなくても良い」と解釈し、検討過程の資料や議事録は出さないことにしている。

さらに、これらの法律の対象は、あくまでも「行政文書」。つまり、「行政機関の職員が組織的に用いるものとして、行政機関が保有しているもの」に限 定されている(同法2条2項)。そこで官僚たちは、組織のための資料でも、個人のための文書だと強弁すれば、公開しなくてもすむと「勝手に」考えている。

◆抜け道を防ぐ手段を整えよ

以上3つの「法律の解釈(曲解)」を前提に、官僚の気持ちと行動を描写すれば、こういうことになる―。

集団的自衛権の行使容認の閣議決定に至るまでの検討過程はしっかり文書にしておこう。文書を作成しても、検討過程の資料で公開義務はないから、文書を出せとは言われないはずだ(大量の文書が作成される)。

(仮に運悪く公開請求が来た場合でも)検討過程の資料は公開義務はないから出さなくて良い。ただ、あるけど出さないと言うと、文句が出るだろうから、最初からないことにしてしまえ(文書はないと回答)。

閣議決定関連の記録を残さなかったと言えば、公文書管理法違反だが、罰則はないから、ごめんと言えば済む。処分されるとしても人事記録に残らない訓 告程度だろう。それに比べて、文書があると言って、国会などで追及されて、出さざるを得なくなったら、「本当は違憲だ」などという議論を行っていたことが ばれて大変だ。だから、とにかく文書はないことにしよう。

万が一、一部の文書が外部に漏れたら、それは個人的なメモだと言い張れば良い。行政文書ではないので、役所としては関知してないとしらを切り通せばなんとかなる―。

今のところ、事は官僚たちの思惑通りに運んでいるようだ。

これほど重要な文書が、「ない」の一言で終わってしまう日本。とても民主国家とは言えない。今こそ、様々な抜け道を塞ぐために、公文書管理法と情報公開法を抜本改正すべきだ。

 

 

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