ダイヤモンド・オンライン記事「 おいしすぎる原子力利権と 100%”玉虫色決着”になる 有識者会議のしくみ ―古賀茂明×広瀬隆対談【後篇】」

ダイヤモンド社書籍オンラインに、前編に引き続き、古賀茂明氏と広瀬隆氏の対談(後編)が掲載されました。
以下に、一部引用します。


広瀬 当時の通産省には、改革派もいましたよ。通産省が経産省になったのは2001年ですが、2000年頃、通産省内は原発派と、反原発でガス利用などの省エネ技術推進派に分かれていて、五分五分でした。
私たちの側についてくれた官僚が半分ぐらいいるので、これは希望があると思っていたのです。そこに古賀さんがいたことは、当時知らなかったのですが。

古賀 そう、だから当時の資源エネルギー庁の次長が「電力改革をやれ」と号令をかけて、下は一斉に動きました。
しかし、途中で国会議員や電力会社から攻撃され、ガタガタになりました。次長は保身に走り、半分くらいの官僚はそこにくっついて、うまく逃げましたが、残りの半分くらいは完全にやられました。

広瀬 その改革派だった人たちは、現在どこに行ったのですか? 内部に残っていないのですか?

古賀 若手は冷遇されて、やめました。2、3人は残っているでしょうか。被弾せずにかわした連中は、けっこうエラくなっています。

広瀬 経産省内に、どんな変化があったのですか?

古賀 2003年くらいまでは経産省の中に改革派がいて、その頃までは私たちが完全に主流でした。私は経済産業政策局という部署で改革派のリーダーでした。

ところが、改革が進んで産業が自由化されれば、官僚の利権がだんだん小さくなります。そこで、改革派が一掃され、迫害を受けるようになりました。

当時、私は「経済産業経済産業政策局経済産業政策課長」と「経済産業」が3つもつくポストで課長をやっていましたが、そこからボンボン飛ばされました。
外郭団体に出されたのです。それもおかしな時期にです。外に出ると、普通2年間は同じ部署にいますが、任期途中で、そこからまた飛ばされました。

広瀬 要するに見せしめですね。

古賀 そうです。改革によって利権が小さくなるなかで、残っている最大の利権は「原子力」でした。


全文はこちらをご覧ください。
おいしすぎる原子力利権と100%「玉虫色決着」になる有識者会議のしくみ――古賀茂明×広瀬隆対談【後篇】

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